| ほんのちょっとした出来事がきっかけで、それまでの力関係や友情が壊れてしまう、そんな微妙な時期にとんでもない事件?が僕を襲った。
あれは確か小学校五年生か六年生の頃だったと思う。
それくらいの年頃というのはかなり微妙で、昨日まで仲良く遊んでいた友達と今日は口も聴かない、といった様なことがよくある。
例えば、学校でウンコをしたとういうだけで、それまでイジメっ子だった者がイジメられてしまったり、人気者だった者が仲間はずれにされてしまったりするのだ。 パンツの中でウンコを漏らしてしまったとかいうならそれは仕方ないかもしれないが、ちゃんとトイレでしてもウンコだけは何故か許されないのだ。 大人には理解しがたい事かもしれないが、これは小学生にとっては掟のようなものなのだ。
だがこればっかりは自然現象なので、普段どんなに威張っていようと、どんなにケンカが強かろうと、気合いだけではどうすることも出来ず、何人ものイジメっ子や人気者がこの掟を守れずに脱落していった。
その点においては、イジメっ子もイジメられっ子も平等ということで、これは小学生社会がつくりあげた民主主義なのではないかと僕は思う。
(極稀な例だと思うが、一人だけウンコをしてもイジメられない奴がいた。そいつはウンコがしたくなると「うわ〜、ウンコして〜」とみんなに公表してトイレに行くのだ。そんな勇敢な彼を僕は密かに尊敬していた。たぶん他のみんなも口には出さないが、僕と同様に彼のことを尊敬していたのでイジメられなかったのだと思う。)
当然の事ながら僕にもその様な危機が何度か訪れた。しかし、僕にもある秘策があったので、イジメを恐れることなく堂々とウンコをする事が出来たのだ。
その秘策というのは簡単なことで、ウンコをするときは一年生の使っているフロアのトイレを使用する、ただそれだけのことである。だいたい何処の学校も同じだと思うが、学年毎にフロアが分かれていたり、校舎が分かれていたりするので、決められているわけではないが、各フロアのトイレも一年生のトイレ・二年生のトイレといったかんじになっていた。したがって一年生のトイレはほとんど一年生しか使用しないので、そこでならウンコをしてもバレずに済むのだ。
何故みんなこんな簡単なことに気付かなかったのか不思議だったが、みんなが気付いてしまうと秘策でもなんでもなくなってしまうので、僕はこのことを誰にも教えなかったのだ。
そしてその秘策のお陰でウンコネタによってイジメられることは無いとおもっていた。
そんなある日、学校の帰りに友達のK君が僕の家に遊びに来るというので、そのK君と好きな女の子の話や、友達の悪口や、これから何をして遊ぶかなど話しながら家路を歩いていた。
あと五分くらいで家に付くという所まで来たとき、四十メートル程前方の道端に、老婆がしゃがみ込んでいるのが見えた。どこか具合でもわるいのかなぁと思いながらも「お前の好きな女教えろよ、そしたら俺も教えるからさぁ」などと他愛もない話を続けていた。
そして二十メートル程近づいたとき、そのしゃがみ込んでいるお婆さんが僕のお婆ちゃんだと判った。っとそのとき、
「うわっ!あのババァ野グソしてやがる!」
とK君が叫んだ。
僕は、そんなバカなと思いながらも恐る恐る見てみると、紛れもなく僕のお婆ちゃんはウンコをしていたのだ。しかも、物陰に隠れるわけでもなく、道端で堂々とだ。
僕はかなり焦ったが不幸にもその道は一本道で、お婆ちゃんの居るところを通り過ぎるまで横道がなかったのだ。
しかし僕はあることに気が付いた。K君は僕の家に遊びに来るのは初めてなので、野グソをしているのが僕のお婆ちゃんだとは知らないはずなのだ。
ということは、お婆ちゃんさえ僕に気が付かなければバレずに済む。
そう思って、少々不自然ではあったが、僕はお婆ちゃんの方に背中を向けて後ろ向きになり、何とか話を逸らそうと必死になっていた。
するとまたまたK君が、
「うわっ!あのババア新聞紙でケツ拭いてやがる!!」
と言うのだ。僕は気絶してそのまま後ろ向きに倒れてしまいそうな目眩を感じ、心の中で『お婆ちゃんが僕に気付きません様に、お婆ちゃんが僕に気付きません様に』と、何度も何度も神様に祈った。
そしてなんとか気付かれずにお婆ちゃんの横を通り過ぎようとしたまさにその時である。
「あら!タッ君お帰り」
お婆ちゃんは恥ずかしがる素振りも見せず、平然と二枚目の新聞紙を両手で揉みほぐしながら挨拶してきたのだ。
僕は遠のいていく意識の中で、まさしく蚊の泣くような声で「うん・・ただいま・・・」と一言だけ返事をして、揉みほぐした新聞紙でお尻を拭くお婆ちゃんの横を通り過ぎた。
K君もまさか僕のお婆ちゃんだとは思っていなかったので、かなり面を食らった様子で「ど・・どうも」と動揺しながら挨拶をしていた。
そしてすかさず「あれ、お前のお婆ちゃんだったの?」っと耳打ちしてきた。僕は力無く「うん・・」と応え、「でも俺ん家は二世帯住宅だから、お爺ちゃんお婆ちゃんとは生活は別なんだ」と聞かれてもいないのになんだか訳の分からぬ、あの人は自分とは全く関係ないだと言わんばかりの、言い訳ともつかぬ言い訳のようなことを僕は一人でぶつぶつと言っていた。
K君はそんな僕を哀れに思ったのか、
「お前が野グソした分けじゃないんだからさぁ、そんなに気にするなよ。誰にも言わねぇーからさぁ」と気遣ってくれた。
僕はK君の優しさ、友情に涙が出そうだった。
次の日、僕は昨日のことなどすっかり忘れて、いつもどおり元気よく学校へ行った。そして、いつもどおり元気よく教室のドアを開けた。そしてそして、いつもどおりいつもの仲間がやってきた。そしてそしてそして、いつもどおり「おはよ〜」と挨拶をした。
そして帰ってきた返事は、
「おい!昨日お前ん家のババア野グソしとったんだってなぁ〜」である。
その時僕は、友情とは儚いものということを初めて知った。
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