僕と姉貴とは六歳歳が離れている。
姉貴は小さい頃からピアノ・そろばん・書道・茶道・華道と英才教育を受けさせられ厳しく育てられていた。僕はというと、末っ子で次男ということもあり兄弟の中でも一番甘やかされ、自由奔放に育てられていた。
そのせいだけではないが兄弟からかなり嫌われていた。
姉貴は僕が物心付いたときには既に自分の部屋を持っていたため、一緒に暮らしていてもあまり顔を合わせる事がなかった。
そのせいか小さい頃の姉貴との思い出は殆どない。
印象に残っていることと言えば、僕のことを「お前はいらん子(要らない子)なんだ」とか「お前はお母ちゃんが拾ってきた子」とよく言っていた。
しかし、そんな酷いことを言われても、僕は全く気にも止めなかった。
何故なら、兄弟の中で僕が一番親と顔が似ていたからで、特に父親と僕はそっくりなのだ。それに比べて姉貴は両親のどちらとも似ていないのだ。
だから僕は「いらん子」とか「拾われた子」と言われるたびに、口には出さなかったが内心『それはアンタだろ!』といつも思っていた。
そんなある日のこと、また姉貴が「お前はいらん子なんだ」と言ってきた。僕もいつものことと思いながらも、その日は妙に腹が立ってきて売り言葉に買い言葉で、「そんなにいらん子なら出てってやるよ!」と言って家を飛び出そうとした。
しかし、その時は確かまだ小学校の三・四年生だったので、当然行く宛がある訳もないし、お金もない、勿論本当に家出をする気など全くなかった。
僕は頭の中で、『どうせ直ぐに、「待ちなさいお姉ちゃんが悪かった」と言って追いかけてくるに違いない』という小学生らしいと言うか、浅はかな全く自分に都合のいい計算をしていたのだ。
ところが姉貴は、小学生の分際で家出なんぞ出来るもんならやってみんかいと言わんばかりに、追いかけてくる素振りさえ見せなかった。
『これはヤバイことになったぞ』っと思った僕は、無い知恵を必死に絞りある作戦に出た。
それは玄関の扉を開け、隣近所に聞こえるよう大きな声で、しかも泣き声で「出てってやるからなっ!ホントに出てってやるからなっ!!」と言って叫ぶというとんでもなく卑怯な手段だった。 しかしその卑怯な作戦は大成功で、姉貴は直ぐさま「待ちなさい!」と言って追いかけてきたのだ。
ぼくは『ヨッシャ!』と思いながらも『ん・・・?待てよ、もし僕のが足が速くてこのまま逃げ切ってしまったらその後どうしよう・・・。でも出てってやるって言っておきながら家の敷地から一歩も外に出ずに捕まるのもカッコ悪いよなぁ』と一瞬の間にいろんな事を考えた。
姉貴が二階の部屋から階段を駆け下りる音が近づいてくる。
僕はとにかく逃げなければと思い咄嗟にとった行動は、履きかけていた靴を脱ぎ捨て姉貴のピンヒールのサンダルを履いて逃げたのだ。
結局この作戦も大成功で、150メートルか200メートルくらい逃げた所で捕まり、めでたく僕は家に帰ることが出来たのだった。
家出時間:約五分
距離:往復約四百メートル
この記録は永遠に破られることは無いであろう。
そしてその後、これに懲りたのか姉貴も僕に「いらん子」とか「拾った子」とは言わなくなった。が、しかし僕はそれまで以上に嫌われてしまったのだ・・・。
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